無料放送としてスタートしたAbemaTVは本来は、公共放送にはない地域に縛られない公共放送を目指すべきで、このような意味では、地デジよりもBS放送に近い形式でコンテンツが提供されるべきものだろう。
BSや、地デジは、主に専用アンテナで家庭用TVで提供されるのに対し、AbemaTVは、インターネット回線経由で放送がされているということなのだが、媒体が異なることで、公共性の部分の受動視聴をユーザーが選ぶことによって、コンテンツの自由選択と、視聴する意思をアプリをインストールしたり、規約に同意したりすることで、ある程度有害な放送も、非受動性媒体として実現しているところにある。
つまり、ユーザーは、見たくないのであれば、アプリをインストールしなければよく、PCであれば、サイトにアクセスしなければよいだけの話ということなのだ。
しかし、一方では、広告収入が得られないと充分な収益が成り立たなくなるので、著作権を伴うようなコンテンツの配信のために支払う放送権が潤沢に回るためには、広告放送が重要になってくることと、AbemaTVに広告を掲載しようと考えるスポンサーの存在が重要になってくる。
このような視点でAbemaTVの広告の種類を分析すると、一定の法則性が見えてくる。最近よく登場するのが、AbemaTV自体の広告や、放送予定などの広告が多く、一般的な拡販広告が少なくなりつつある傾向にある。
つまり、世の中のスポンサーの大半は、未だ、AbemaTVを公共放送並みの宣伝力があるとは認めておらず、広告掲載依頼が圧倒的に減少傾向になると言わざるをえない。
CMが流れないので、広告収入が得られない。ひいては、番組の質が落ち、視聴者数が減っていく。更には、視聴者数の激減によって、運営ができなくなって廃止に追いやられるという悪循環を繰り返さざるをえない終末ということになってしまうだろう。
たぶん、ここらへんで、ただ単に、インターネット経由でTV視聴が出来るよというこれまでには得られなかった試みは、新しさが不足し、次第に、陳腐化してしまい、スマホでテレビが見られるというだけではおそらく多くのユーザーをつなぎとめておくだけの魅力はなくなってしまうように思う。
結局、ダメだったか。と考える他に、AbemaTVが発足した決定的背景はむしろ、なんらかの布教活動にあったのではないのかという疑問が湧いてくる。
まあ、動機は別としても、存続が危ぶまれる状況に追いやられる前に、何らかの手を打って欲しいものである。
最近の番組の質の低下、繰り返し放送頻度の増加は、全くもってして残念としか言わざるをえない。
最近は、AbemaTVを視聴してみても、つまらなくなり、視聴することすら放棄してしまったというユーザーは私を含めて、そう少なくないはずである。